聖書と占い
1509年、アグリッパはドールに着いた。
当時ここはブルゴーニュとともに、マクシミリアンの娘であるオーストリアのマルガレーテが君臨していました。
アグリッパは、ある友人の助けをかりて、大学で講義する許可を得たので、彼は大学でロイヒリンのカバラ的な論文『ふしぎな言葉』を解説した。
また、マルガレーテの後援をうけようと思って、『女性の高貴』と『婦人の優越』とを書きました。
彼は、『聖書』や教会の神父や哲学から借りた議論によって、女性を崇高な文句をならべて賞めあげた。
この著作は、「尊厳にしてきわめて寛容なる女王、神聖なるマルガレーテ」にささげられました。
マルガレーテの寵愛はなかなか実現しないのに、アグリッパの敵はすぐ現われた。
とくに、彼がユダヤのカパラに共鳴している点を危険な異端とみなした聖職者たちがいました。
マルガレーテが住んでいたネーデルランドのガンでは、フランチェスコ会士のカティリネが女王の前でこの不信心なカバラ主義者を反駁する説教をした。
そして彼は、敵たちから女性賛美の本の出版をじゃまされました。
彼は主義主張を放棄してイギリスにいき、その後さらにコローニュにいって、そこで公開講演を行なった。
財政的な面のだらしなさで、彼の悪名は高まり、さらにいろいろな失敗のために、崇拝者や後援者は遠ざかっていきました。
・・・今占いでは、電話の占いサービスもありますが、当時は全て対面式だったことを思うと、現代はだいぶ占いが身近になりました。
